「あなたは、あなたが選んだものでできている」。ドキッとしましたね、このコピー。なんとも哲学的な問いかけを含む言葉ではないだろうか、と思ったのです。
たしかに人は、生まれたときは白紙の状態。そこから出発し、環境から色々な影響を受けながら自我を形成していくのでしょう。それは精神だけでなく、肉体もそうです。何を食べるかによって、その人が形成していく肉体は違ったものになるのかもしれません。
しかし、それら精神や肉体にしても遺伝子レベルでは、生の瞬間からその将来は決定されていて、人には自己決定権や選択権はないのかもしれません。すべては「神の意思」ということでしょうか。
だとすれば人間、努力しても無駄ということになります。が、僕にはそうは思えません。やはり人は「何を選ぶか」によって自己を意識的に形成していけるのではないだろうか、と思っています。と、そんなことを考えさせられたのですけどね、「ピノ」のテレビ広告を観て。「ピノ」とは日産の軽自動車です。
ほほーっ、日産、なかなかいうじゃないのと感心したのですが、この広告、よく観ると「かわいいものを選ぶとかわいいあなたができあがる。日産の軽「ピノ」はかわいい車です。だから「ピノ」に乗ればかわいいあなたになれますよ」と、ただそれだけのことをいっているだけかもしれません。
もっともそれは、広告の主張している表層だけから読みとれるメッセージであり、当該広告の制作者が本当に伝えたいメッセージは「何を選ぶかによってあなたの精神世界も、自分の望む方向へ変革できるのですよ」ということかもしれないけれど。ともかく真意はわかりません。
いずれにしても、人は何かを選択するとき自分の価値観をモノサシにして選択していることは間違いありません。そして、その選択した様々なものに囲まれた生活空間はひとつの生活様式を形成しているのです。その生活様式に従って生活を続けるのですから、それによって人はまた、新たな価値観を形成していくことになるのでしょう。
それにしても「ピノ」を選択する人は、先のコピーが気に入ったから「ピノ」を買おうと思うのでしょうか。でも、このコピーが気に入るということは「何を選ぶかということは重要なことです」という考えに共感するということですから、「ピノ」を買う前に他社の自動車もよーく研究し、吟味してどの車を買うか決定することになるはずです。
制作者は当然、消費者のそんな行動心理も理解した上でコピーを書いているのでしょうから、それでもなお「ピノ」が選択されるはずだ、という自信があるのでしょう。やはりすごい。
それほどすごい自動車なら一度試乗に行かなくちゃ。 (終)