105円ブックガイド
書名・「自分の木」の下で
著者・大江健三郎
発行所・朝日新聞社
2001年9月30日 第5刷発行のもの
この本は、青少年向けに書かれた本なのだそうですね。この本の12ページ目には「若い人に読んでもらいたい…」と書いてあります。若い人というのは何歳ぐらいの人でしょうか。60ページ目には次のような表記があります、「皆さんが高校生になってから」。とすると若い人というのは、小学生か中学生と判断できます。しかし、対象読者層の年齢を判断する文章は192ページ目にもあります。「小学校上級の人たちに読んでいただこうと思うものや、もう高校で大学受験の準備をしている人たちへと思う内容まで、書くことになりました」。だとすると、年齢層はもっと広がります。たしかに、この本を読むと「中学生には難しすぎるのでは」と思うところもありますし、高校生なら「いまさらこんなこと言われてもなー」と思うのではないだろうか、と思うところもあります。たとえば第一話の「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」などは高校生が読んでも、時すでに遅しと思うかもしれません。それでなお同書は、高校生や大人といわれる年齢の人たちが読んでも無駄にならない本だとは思います。
それにしても、小・中学生にはやはり難しいかもしれないと感じます。でも、そう思うのは「本を読むのなら、本に書かれている作家の意思を正確に理解しなければだめ」だという大人の考え方で本を読んでいるからなんでしょうね。本なんてね、どう読んでもいいんですよ。読んでみて、自分が面白いと思うところがあればそこを記憶してもよいし、つまらないと思えば本箱の隅に突っ込んでおいてもいいし、あるいは捨ててしまってもよいと思うのです。とはいえ、捨てるのはもったいないから古本屋に持っていきましょうね。
でもしかし、子供は子供なりに本を読んでいるんだなー、と思うことが同書に出てきます。大江氏は水泳クラブであった少年に、こう尋ねられたそうです。「大きい木の左側に、おじいさんがいますね。(中略)子供は腰のところに棒切れを持っている。あれは変なおじいさんをやっつけようとしているのですか?」と。これでいいと思うのですよね、子供の本の読み方は。大江氏はこの質問にどう答えたかは書いていません。書かれていないということは、そんなことはどうでもいいことなのかもしれませんが、同じ疑問を持った少年がいるかもしれませんから、僕の解釈を書いておきます。
大江氏と同じころに生まれ育った人、つまり終戦前後ということですが、ならおそらく同じような解釈をすると思います。あれはおそらく「ちゃんばらゴッコ」をするための「遊び道具」でしょう。しかし、大江少年はちゃんばらゴッコをするような子供ではなかったかもしれません。ただ、終戦前後に生まれた「普通の男の子」なら、ちゃんばらゴッコという遊びは、生活スケジュールの中にがっちり組み込まれていたはずですし、そのための棒切れは「生活必需品」だったはずです。
それにしても、子供の興味は思いもよらないものに向けられ、その好奇心は思いもよらない方向へ「進み行く」ものなのです。
ということで、事のついでに同書に出てくる「大洲」について書いておきます。「大洲」は「子供の戦い方」の中に出てくる地名です。大江少年は父親と一緒に、自転車に乗ってその地に行ったんですね。目的のひとつは中江藤樹について学ぶため。大江少年はそこで、父君に「大洲は大きな町なのに、そのなかでお百姓さんたちが暮らしていたのか?」と質問します。大江少年は、父君の話の中に出てくる「大洲」という名称が指し示す地域を誤解していたんですね。それも無理はありません。当時「大洲」といえば、いまは「肱南(こうなん)」と呼ばれる地域のことでした。その地域とは、西は大洲城址付近から、東は大洲神社付近までの城下町地域です。その地域は商家が建ち並んでいます。田畑はまずありません。大江少年もその風景を見たからこそ先の疑問を持ったのだと思います。
しかし、中江藤樹を語る中に出てくる「大洲」という名称は「大洲藩」が略されたものですから、当然多くの農民が暮らしていました。
ことのついでに「大洲」についてもう少し書くことにします。現在でもこの「大洲」という名称は、それがどのような場面で使われるかによって指し示す領域が変わってきます。たとえば「伊予の小京都である大洲」という場合、これは「大洲盆地」全域を示す地名と考えるべきでしょう。なぜなら「小京都」というのは、1.盆地であること、1.町並みが碁盤の目になっていること、1.町の中央に川が流れていること、この三条件を備えていなければならないのだそうです。ですからこの場合の「大洲」は「大洲盆地」でなければ条件を満たさないわけです。
「大洲」という名称が指し示す領域には、この他にも「旧大洲市」「大洲市」などもあります。が、長くなりますので省略します。がしかし、この文章はインターネットに掲示されることになるわけですから、愛媛県以外で暮らす人たちも目にするかもしれません。大洲に関する事をもうひとつ書いておきます。あなたは今、「大洲なんてしらないよ」と思われているかもしれません。しかし、大洲の風景を目にしたことはあるかもしれません。映画やテレビドラマに登場していますから。古くは「おはなはん」が有名です。40歳前後の方なら「東京ラブストーリー」はどうでしょう。あのドラマで、織田祐二が演じた「カンチ」の故郷は「大洲」です。カンチが帰省するシーンを繋いでいくとそうなります。そして実家のある場所もかなり狭い範囲で特定することができます。
映画やドラマに登場する大洲についてはいずれ機会があれば書き込みましょう。
ともあれ、僕が同書を理解する為にはおよそ必要と思われない「大洲」について長々と書き記そうと思ったのは、同書を読んでいて「大江健三郎記念館」を作らなければいけない、と思ったから。そこはただ、大江氏の直筆原稿や、やがて「遺品」と呼ばれるようになる大江氏ゆかりの品々を展示する場所ではなく、大江氏に関するあらゆるエピソードなども集積する「機能」を持ったものでなければならないと思うのです。たとえば「大洲」に関して記述しましたが、同じく大瀬に関してもその地形や歴史、そしてなによりも、そこでのエピソードなども集積しておくべきだと思います。
文学関係者にとっては「そんなものは必要ない」と思われる情報も収集すべきです。たとえば同書に関連した情報なら、大江少年がうどんを食べたのは「大洲」のどこか。これは同書に記述されている情報だけでも特定できるはずです。そして大江少年はその時「橋のたもと」から「深い川」を見下ろしたのですが、その見下ろしたという場所も推定できます。僕が推定した場所が間違っていないとすれば、大江少年が「その川」つまり肱川ですが、を「深い川」と思ったのも無理はありません。でも、ほんの少し場所が違えば大江少年は肱川を浅い川と思ったかもしれません。
再度いいます。文学関係者にはそんな情報は必要ないといわれるでしょう。でも僕は、大江氏の書籍を読む「素人たち」にはそんな情報も必要ではないかと思います。大江文学は、ご子息 光さんの存在なくして成立しなかったでしょうね。そしてもうひとつ、大江氏が生まれ育った土地とも深い関わりを持って成立しているものではないでしょうか。そういう情報を集積する「場所」としてはインターネットは適しているかもしれません。 (終)


