今年も誠にありがとうございました。
いつもお引き立て賜り、まことにありがとうございます。
(株)SAKAI HOUSEを大変ご愛顧賜り、社員一同心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
年末は、28日(日)まで、
新年は、4日より、営業の予定です。
来年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。
« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »
いつもお引き立て賜り、まことにありがとうございます。
(株)SAKAI HOUSEを大変ご愛顧賜り、社員一同心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
年末は、28日(日)まで、
新年は、4日より、営業の予定です。
来年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。
僕の前をゴールデンリトリバーを連れた女性が歩いていました。道幅は三メートルくらいでしょうか。女性は道の右を歩いています。犬のリードを持つ手は左手、つまり道の中央側に犬がいます。
向こうから子ども連れの主婦が歩いてきました。僕の位置から見ると、主婦は道の左側を自転車を押しながら歩いています。僕から見て自転車は主婦の右側、つまり道の中央側。子どもはその自転車の右にいます。
この両者がすれ違うわけです。その光景を想像してください。道の右側に女性、その左に犬、少し間をおいて子ども、自転車、主婦という配置になっています。
ゴールデンリトリバーは子どもの姿を見ると、その子どもの方へ必死で近寄ろうとします。尻尾を千切れんばかりに振りながら。リードは犬に引っ張られピンと張り詰めていました。子どもは犬の様子に怯えてワーワー喚いています。母親に助けを求めようにも間に自転車があり逃げ場はありません。母親は「あんたが怖がるけんよ」と犬を連れた女性を睨みながら大きな声で怒っています。子どもを怒っているのか女性を怒っているのか僕にはわかりません。
それにしてもゴールデンリトリバーがもし、言葉を話せるとしたらきっとこういっているでしょう。「遊ぼうよ、遊ぼうよ」。その犬が飼われている家には、怖がる子どもと同じぐらいの年頃の子どもがいるのかもしれません。そしていつも一緒に遊んでいることでしょう。レトリバーの年齢は一歳になっていないと思われます。遊びたい盛りです。だから遊び相手を見つけて必死で近寄ろうとしているのです。
でも子どもにしてみれば自分の顔の位置に犬の顔があり、それが必死に自分の方に近づこうとしているのです。犬が好きな子なら直感的に犬の気持ちがわかるのでしょうが。それがわからなければ怖いでしょうね。
犬を連れている女性もリードを右手に持ち変えるか、短く手繰り寄せるかすればいいのですけど、そんな気配りもできないのでしょうか。子どもの母親も犬のことがわからないのでしょうね。残念なことです。もしお互いに気配りができ、犬のことを少しでも理解していれば、そこで立ち止まり、犬は遊びたがっていることを子どもに教えてやり、お手、とかお座り、とか犬に対し言葉をかけて犬が服従することをわからせれば、子どもは犬を好きになったかもしれないのに。
だからといって犬は噛み付くこともある、ということは理解しておく必要はあるでしょう。犬種にもよりますし、産後は気をつけたほうがよいともいいます。やはりあの場合、女性はリードを持ち替える必要があったことは間違いありません。
ところで、僕は子どもの教育に犬を取り入れればいいのにと思っています。小学校では、各クラスに一匹「クラス犬」を飼うのです。もちろん犬嫌いの子どもやアレルギーの子どももいますから配慮は必要ですが。九州のとある小学校の、とあるクラスに教室の中を自由に歩く犬がいました。クラスの人気者だった「彼女」が亡くなったとき、葬式をしたそうです。彼女とともに学校生活をおくった卒業生も参列したそうです。その参列者の多さにペットの葬儀屋が驚いたそうです。命の大切さは道徳の本をいくら読んでもわかるものではないと思います。彼女のクラスの生徒たちはきっと彼女から、命の大切さを教わったと思います。 (終)
幼稚園の近くの田んぼに子どもの歓声が響き渡っていました。稲刈りはかなり前に終わっていましたから田んぼが完全に乾くのを待っていたのでしょうか。その光景を見たのは十一月十四日のことです。その幼稚園にはかなり広い運動場がありますから園児が遊ぶ場所がないわけではありません。でも普段とは違う環境に園児たちは大興奮です。
田んぼを遊び場にする、というアイデアは誰が考えたのでしょう。このような事例は他にもあるのでしょか。保育士(幼稚園の先生の正確な名称はわかりません)がネットで仕入れた情報かもしれません。あるいは田んぼの所有者の発案かもしれません。というのも、田んぼには二十センチぐらいに裁断した稲わらが一面に敷きつめられています。孟宗竹を組んで作ったいわゆる「稲木」のような「遊具」もあります。遊具といってもそれで「こういう風にあそぶのですよ」といえるような形態はしていません。バットを三本立てて、グリップの部分で支えあう組み方がありますが、それを竹で組み立てたものもあります。それに稲わらを被せてできた空間に子どもが入って遊んでいます。子どもたちはそれぞれの「遊び方が指定されていない遊具」で自分たちの思いつくままに遊んでいました。実にいきいきと。
いまの子どもたちは、やれ「任なんとかのDなんとか」だとか、「宇宙戦隊なんとか」のおもちゃだとかでしか遊ばないのだろうかと思っていたのですが違うのではないでしょうか。今も昔も子どもの遊び方はほとんど同じでいいのかもしれません。大人たちの思惑でそのような遊び道具に対する欲求を作り出されているのかもしれません。
しかし今は、そういう欲求に子どもの視線を向けさせないようにすることは不可能です。特にクリスマスには。おもちゃのチラシを子どもに見せないようにするのは難しいでしょうね。見せなくても、子ども同士の会話の中で、子ども間の情報交換があるでしょうし。そうなると、他の子どもが持っているようなおもちゃを欲しがるでしょう。それを買い与えないと、やはり子どもは寂しい思いをするのでしょうね。
それはそれとして、あの稲刈り後の田んぼを子どもの遊び場にする、という考えは誰が思いついたのでしょう。当該幼稚園でも去年は行われてはいませんでした。今年初めてのことです。それも、ただ稲刈り後の田んぼで遊ぶだけなら、たまたま遊びに行った、ということもあるでしょうけど、稲わらを全面に敷き詰めたり、遊具まで作ってあるのですから誰か企画立案した人がいると思うのです。それも、今年の稲刈り後に。ネタ元があるのでしょうか。
ネットで調べれば全国的に調査することも簡単なはずです。まず新聞社のサイトを検索するとよいと思います。それで検出されないとすると当該幼稚園が全国初の実施幼稚園ということになるかもしれません。が、それは考えられないことです。なにかヒントになる事例があることは間違いないでしょう。
ところで、販促のための展示会場などで子どもの遊び場を設営することがありますが、この「田んぼ遊園地」はどうでしょう。あのような出来合いの企画よりずっと面白い施設が作れると思います。もちろん期間限定の企画になるでしょうが。しかし、利用する素材などの工夫をすれば年中使える企画にできると思います。と、ここまで書いて僕は恥じ入っています。僕自身が「大人の思惑」で物事を見てしまっているではありませんか。でもこれが、生きて行くということなのでしょう。人間、霞を食って生きていくわけには行きません。僕もそれなりに日銭を稼いで生きてきたわけで、物事を見ればそこにビジネスチャンスがないか、無意識で見てしまっているのですね。 (終)
サントリー「金麦」のテレビ広告が、海から山になりましたね、今回の舞台は。あれはどう見ても山里の普通の農家の庭先とは思えません。
ますます溌剌としてくる「健気女房」が、冬に備えての暖房用の薪でしょうか、その前に笑顔で立っているシーンがありますけど、あの薪は何のための薪なのだろう、と考えてみるのです。囲炉裏用の薪ではないと思うのですがどうでしょう。地方によってはあのような大きな薪を囲炉裏で燃やすのでしょうか。ストーブ用としても大き過ぎるのでは。大型のストーブなら使用できるかもしれません。暖炉用というのが一番妥当でしょうが、ひょっとして陶芸用の薪かもしれないぞ、と考えてもみました。だとするとあの場所は夫婦どちらかの実家で、そこが窯業を行っているのかもしれませんね。
とまあ、そんなことを考えながら広告を見ているのですが、どうも納得できません。だいたい、山里の普通の農家の庭にあんなブランコがあるでしょうか。といっても、ブランコのある場所が農家の庭であるかどうかわからないのですけどね。かといって近くの公園、ということも考え難いのですよ。公園があるような所とは思えませんしね。別荘ということも考えられますが、あの夫婦が別荘を所有しているとも思えません。宝くじでも当たったというなら話は別ですが。
それはそれとして、いい映像だと思うのですよね。あの夫婦、結婚して何年目なのでしょう。どうしてあんなにみずみずしいままでいられるのでしょうね、あの「健気女房」は。
それにしても、あの舞台は果たして何なのかを推測する材料が、あのシーンのセリフの中にありますね。こんなことをいっていると思うのですが録画して書きとったわけではないので少し違っているかもしれません。「今夜のおかず何にする…カツカレー?」とか。つまり夕飯を自前で作るということですよね。ということは山村にあるホテルに泊まっている、という設定はありません。それに、もし実家に泊まっているとすれば、その日の夕飯の献立を夫婦二人だけで決めるということはないはずです。ですからこの線も消えます。
だとすると別荘に泊まっているのでしょうか。でもあれが自分たちの所有する別荘ということは考えられません。初回のテレビ広告の演出から考えるとそれはちょっと無理な話です。が、前記したように宝くじが当たったというならそれも、あり、ですけど。
しかし、この広告、必ずしも連続性があるわけではないようですから、その都度登場人物の生活設定が違うのかもしれません。その連続性が曖昧というのが僕にはちょっと残念です。前回の夏編を見たとき、海岸を歩く浴衣姿の「健気女房」を写すカメラの位置が亭主の目線、という映像だったので、いや僕がそう思っただけかもしれませんが、次は亭主の姿が見られるかもしれないと期待していたのです。が、今回も同じ演出で、相変わらず亭主は謎のまま。まあ見てしまってがっかり、ということもあるので謎のままの方がいいかもしれませんが。
残念なことといえば、今回もちょっと「おしゃれ」になっているということです。僕はやはり、初回バージョンのエプロン姿が好きなのですね。日常生活をそのまま切り取ったような映像でありながら、瞬きを忘れるような刺激を与えてくれる映像ができるといいですね。
(終)